この夏、北海道に行く機会があった。
降り立った晩夏の北海道は、高校時代に住んでいたカナダのような気候で、日差しや空気の匂い、
全てがまるでカナダに来たと錯覚するようだった。
名古屋に戻ってきたら、名古屋も随分空気が秋らしくなっていた。
この前家の近くにある森を歩いていたら、雨上がりということもあってか竹林の中はすでにひんやりと肌寒く、
夏に生い茂った草木はまだ勢いよく伸びていたけれど、竹林には秋の虫の音が響き渡っていた。
北海道にいたときはカナダにいた高校時代を思い出したけれど、帰ってきて名古屋の森を歩いたら今度は大学時代を思い出した。
大学時代に住んでいた寮は、寮の後ろが大きな森になっていた。
私は帰国子女として入学したこともあり、9月が新年度だった。
夏休みが終わり、新しい自分の寮の部屋に荷物を運び込み、
ほっと一息ついて部屋の窓を開けた時の森の空気と秋の虫の音が、名古屋の森の中で鮮やかに蘇った。
音、匂い、景色、感触・・・何かふとしたことがきっかけで過去の出来事が鮮やかに蘇ることがある。
そしてそれに紐づく当時の感情も、まるで今の自分が味わっているかのように蘇る。
それは必ずしも嬉しいことばかりではないけれど、
どんなに辛い出来事であったとしても、それが時間が経っていれば経っているほど、
「まぁ、色々あったけどこれでよかったな」と思えることが多い。
そして、自分で過去に「うん、頑張ったよ、これでよかったよ。今の私は大丈夫だし、
こうやって元気に生きてるんだから」と語りかけるだけで、
何か過去に抱えていた黒い塊のようなものも、少し軽くなる気がする。
同じように、過去の日記帳をふと開いた時に飛び込んでくる言葉や、誰かから過去にもらったメッセージが
まさに今の自分が必要としていた言葉だったりすることもある。
この前は去年夢で出てきたホストマザーが私に
「Your heart always leads you to the right place. (あなたのハートはいつでもあなたを正しい場所へ導くわ)」
と言ってくれたこの言葉が、悩んでいた私にふと飛び込んできた。
こうやって、記憶や想いというのは現在や過去、未来を自由に行き来して、
必要な時に必要なタイミングで私たちに当時の願いや想い、祈りと共に私たちのもとへ届いてくれる気がする。
そしてそれはきっと自分が放ったものだけではなく、誰かに対して放ったものも、時を超えて届く、
ということがあると思う。
そう思えば、このコロナに振り回されている今の私たちの生活も、きっと未来の私たちが導いてくれたり
励ましてくれていると思うし、過去の私たちが放った何かが今の私たちに希望を与えてくれることもあるかもしれない。
私たちは、どんなに一人だと思っても、過去や未来の自分、自分以外の誰かなど、気付いていなくても、常に見守られている、と思う。
そう思っていると、必要なタイミングで素敵な言葉や素敵な人との出会いに導かれたり、
あ、一人じゃないんだなって思えることがよく起きる。
私たちの心はいつでも答えを知っていて、私たちはその枯れない泉にいつでもアクセスできる。
そんな時間も空間も超えた次元にアンテナを貼りながら、「今、ここ」にしっかりと根っこを下ろして
1日1日を歩んでいきたい。
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