· 

私の本気

 

本気になるってお母さんになってからなかなかなれなかった。

というのも、何か一つのことに対して本気になってしまうと、

他のことに気持ちを回すことができないからだ。

 

それはお母さんという職業においては致命的だと思う。

子どもたちは常にお母さんのアテンションを求めていて、

言葉を話すようになったからと言って、お母さんが「気」を「付けて」

あげないといけないことばかりだ。

 

だから、作品を作るとか、そういう状態と子育ては

すこぶる相性が悪い。

 

たとえいい作品ができたとして、それで子どもたちが悲しい顔をしていたら、

「何やってるんだ私は」と、後悔に苛まれるのが目に見えている。

だから私はいつもバランスをとってきた。

 

子どもにも、家族にも気を配れるくらいの余力を残してしか、

本気になることはしてこなかった。

 

でも、それは本気になってこなかったわけじゃないと思う。

余力を残す、というのもなかなか難しいのだ。

 

走れるなら最後まで走りたいけど、

50メートルの最後の2メートルくらいを残して終わる感じの気持ち悪さ。

 

でも、その2メートルを走り切ってしまうと、

もう子どもの「おかあさーんきいてーみてー」がうるさく感じてしまう。

私はそれをしたくなかったから、2メートルくらいはいつも残してきた。

 

でも、それを「ぬるい」とか「なめてる」と思われたこともいっぱいあった。

悔しかったし、違うって何度も言いたかったけど、

本気で音楽をしている人たちを目の前にすると、私は自分でも自分のことを

「ぬるいなぁ」と思って後ろめたく思ってしまった。

今でも思うことがある。

 

でも、やっぱり私はどちらも本当に大切なのだ。

どちらも譲れないから、やっぱり2メートル残すしかない。

2メートル残しながらもぬるくない生き方がしたい。

私は今そんな生き方ができるか自分の人生で試してみている。

 

子育てだって、もっとあんなことをしてあげたい、

こんなことをしてあげたい、ってことがたくさんある。

でも、実際のところは子育てだって2メートル、いやそれ以上

走り切らずに音楽の方に意識を向けるために余力を残している。

 

トータルで見ないと、私の本気は伝わらないのかもしれない。

でも、それでもいい。

私は私の人生、自分で責任の取れる生き方しかしたくないし、できないのだから。

 

そうやってるうちに、気づいたら両方50メートル完走しつつ、

両方できるようになる日は・・・こないと思うけど、

でも、タイムは上がるかもしれない。

 

私はどっちも大事だから、

どっちも大切にできる限界をいつも本気で探してる。