昨日と一昨日のブログ、読んでくださった皆さんありがとうございました。
毎年毎年この日はブログを出来るだけ書いて、
その時の自分の気持ちを記すようにしていますが、
この1〜2年の変化は私にとってもとても大きなものでした。
父のことを書きながら、
私は改めてこれまでの自分の人生を抱きしめられた気がしました。
つい最近まで、1月18日は私にとって昨日は父が亡くなったという、
ひとつの悲しい「終わりの日」だったのに、
昨日夜寝る前にふと、父の事を思ったとき、私は父に「ありがとう」と
心から思えて、これからこの日は私にとって「始まりの日」になると思いました。
長い時間かけなければ見えてこないものがあるんですね。
離れてみれば離れて見るほどに、わかってくることがあるんですね。
生きていることの醍醐味は、「すぐにわからない」からこそ面白いのだと思います。
37歳にしてそんなことを思う最近です。
私たちはどんな悲しみにも「意味」を見出すことができるのだと思います。
それは時に思い込みかもしれない、自分の都合のいい解釈をすることもあるかもしれません。
けれど、その思い込みを、本当に信じ抜いたら、その思い込みは現実になる。
思いが現実を作るのは、ある意味では事実なのだと思います。
けれど、すぐに「意味」を見出そうと躍起にならなくてもいいのだなということも
学びました。
「ああでもない、こうでもない」
「どうして?」
「なぜ私が?」
いろんな疑問、嘆き、怒り、やりきれなさが私の心を何度も埋め尽くしたけれど、
その紆余曲折の時間が私の心を耕してくれました。
人の痛みに軽々しく「わかるよ」と言ってはいけないことも知りました。
同じ経験をしても、その人の感じる痛みはその人だけのもの。
「わかるよ」という言葉は、時に人を癒すけれど、
本当に寄り添いたいと願うとき、「わかるよ」という言葉は使えないことを
私は学んだ様に思います。
本当に「わかる」というのは、「わからない」という事を思い知ることなのかもしれません。
もし、これを読んでくれている人で光を見出せない事を抱えている人がいたら、
私にはその痛みを同じ様に感じることはできませんが、
その奥に「希望がある可能性」というのを、心のどこかに持ち続けられることを願っています。
その悲しみを感じている人自身が、その可能性を信じない限り、
その希望は姿を現してくれないからです。
だから、完全には信じられなくても、疑いながらでも、
その可能性をゼロにしないでいてほしいなと思います。
どんなに周りが真っ暗闇でもそこに希望をわずかでも持ち続けるのなら、
すぐにではなくとも、時が満ちたとき、必ずその希望は光となって私たちを照らしてくれます。
私もその光を見出すまで、30年近くもかかったけれど、
もう「希望なんてない!」と何度も思ったけれど、
それでも、やっぱりどん底の一歩手前あたりで、ふとかすかな光を見た気がして、
その光を一途の望みにして繋いできた様に思います。
そして、その光は音楽や、人との出会い、様々な形でやってきました。
これからも、たくさんの涙を流すことがあると思います。けれど、どんなに雨の日でも太陽はいつでも私達を照らしているように、心に光の居場所を作ってあげようと思います。
みなさんの心にも、光が差し込みますように。
山口春奈
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