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息子の手を通して父と再会した日。

「うわ!やっちゃんそっくり!!」

 

週末、父の妹である叔母に会った時、私の長男の手を見て叔母が言いました。

 

「やっちゃん」というのは、私の父の愛称でした。

私の父は三人兄弟の長男で、10歳年下の妹がいます。

歳が離れているおかげで、叔母は私にとっては「おばさん」というより、

少し歳の離れた「おねえちゃん」のような存在で小さな頃から慕っていました。

そんな叔母と、5年ぶりに子どもたちと再会したときの話です。

 

私の父は6歳の時に亡くなっています。

ぽつりぽつりと断片的な記憶はありますが、6歳だとやはり曖昧なことも多く、まとまった記憶はありません。

だから、私は叔母に会うと私の知らない色々な父の思い出話を聞けるのがとても嬉しく、

父のことを知らない人がほとんどの今の生活の中で、父が本当にこの世に生きていたということを

思い出すことができるのは、私にとってとても貴重な時間でした。

 

その日、私は子どもたちを連れて「ゴリラを見たい!」という叔母と上野動物園で待ち合わせました。

(でも結局ゴリラは混んでて見れず。)

思ったよりも暑かったその日、久々の人混みに機嫌が悪くなり始めていた子どもたちのために、

まずは休憩しようということで不忍池の近くで一休みし、おにぎりを食べていました。

その時に、テーブルに置いた9歳の長男の手元を見た途端、叔母が

 

「うわ!やっちゃんそっくり!」と言ったのです。

 

長男の少し幅広の爪とささくれがちな指先。

 

私はずっとどこかで見たことがあるような、ないような・・・

そんな気持ちで長男のどんどん大きくなる手を見ていました。

それが、あの日の叔母の一言で、はっとしました。

 

楽譜を見るとき、何か考え事をしているときなど、

そういえば父はちょっと頭をかしげてよく爪を噛んでいました。

長男は爪は噛まないけれど、その爪の形は言われてみれば本当に父とそっくり。

 

そして、叔母の一言を聞いたとき、

本当に忘れかけていた父の手の感触を、私は久々に思い出すことができました。

 

父が亡くなって30年経った今でも、私は未だに毎日のように父に語りかけ、

毎日のように父のことを思い出します。

けれどどれだけ頑張っても「父がこの世に本当にいた」という実感は年々薄れていくばかりでした。

 

そんな中で、もちろん完璧に思い出すことはもうできないけれど、

父が確かにこの世にいて、私のことに触れ、私も父を触れることができた頃が

あったのだということを、あの日の叔母の一言で私は思い出すことができました。

 

薄れていく思い出の中でも、私は毎日父と同じような手をした息子の手を握っていて、

父と同じように首を傾げながら本を読む息子と毎日過ごしていたのか。

 

父は、父としてはいなくなってしまったけれど、

今でもちゃんと私の日々の中に形を変えて生きていることを実感した瞬間でした。

 

私たちは、大切な人を失ってしまうと、深く悲しみます。

そしてその悲しみの多くは「もう会えない」という「喪失感」からやってくると思います。

 

けれど、私は30年間、「大切な人を失う悲しみ」と向き合ってきて、わかり始めてきたことがあります。

 

それは、心の目を凝らしてみると、大切な人は形を変えて、必ず私たちの生活の至る所に生きていてくれている、ということ。

ふとした瞬間に、「ここにいるよ」、「いつも見守っているよ」とメッセージを送ってくれている、

そんな気がします。

 

 

「別れ」は単なる「悲しみ」ではないのだな、と最近はそんなこともようやく実感として分かるようになってきました。

「大切な人の失われた命」というのは、別れの悲しみと共に生きていく中で、

時が満ちた時に必ず私たちの人生の中で、形を変えて「活かして」いくことができるようになります。

 

私にとって父が亡くなったことは長い間私を苦しめた悲しみでしたが、今ようやく、

それが私の人生を導く光でもあることに気づき始めています。

そんな矢先の出来事でした。

 

その日の夜、子どもたちが寝てから改めて息子の手を握りました。

もう私の手で包みきれない大きさになってきた息子の手。

ちょっとささくれていて、厚い手のひら。横広の爪。

 

「お父さん、こんなに近くにいたんだね。ありがとう。」

 

思わず、心の中で父に語りかけました。

寝ぼけて握り返してくれた息子の手が暖かくて、優しくて、久しぶりに父を想って私は少し泣きました。