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悲しみの根底にあるもの

お久しぶりです。

讃美歌の作品集のリリースや学期末が重なり、なかなか更新ができていませんでした。

みなさんお元気でしょうか?

 

私は先日、一足早く今年の歌い納めも終わり、

来年に向けての準備をゆっくりと始めています。

 

先日ある映画を一人で見に行きました。

「グリーフケアの時代に」という映画です。

 

悲しみと向き合い続けた結果、そこに「愛」を見出した人たちが

前を向いて再び歩いていく姿がとても印象に残った映画でした。

 

私も、自死遺児であるということから、

グリーフを抱えて生きてきた人の一人なのだと思います。

 

けれど、幼い頃だったし、母をはじめ、

祖父母や周りの人たちも私をすごく大切にしてくれたため、

自分の中にあるグリーフを自覚したのは、少し大きくなってからでした。

 

それに、昔は経済的に困窮するということもなかったため、

社会のイメージする「ひとり親家庭」とは違いました。

 

逆にそのことで自分みたいな恵まれた生活を送れている人間が

グリーフを抱えるのは甘えなんじゃないか、

というような後ろめたさや罪悪感を子どもながらに感じていたのも事実です。

 

そんなこともあって、十年近く無視されていて固まってしまった

グリーフ(悲しみ)を取り出して、眺め、抱きしめていくというプロセスに、

大人になってから10年近く費やしたように思います。

 

悲しむのをやめなくちゃ、苦しむのをやめなくちゃ、と

思いながらもどんどん抜け出せなくなってしまっていた頃があったけれど、

自分の中にその人たちへの深い愛があったことに気づき、

また同時に亡くなってしまった人たちが自分に注いでくれた愛にも気づくことができた時、

私もようやく新しい一歩を踏み出しはじめました。

 

それが、「PRAYACTION Project」です。

祈りという音楽の原点に立ち返って音を奏で、歌うとき、

私はもう会えなくなった人たちの面影を感じます。

 

祈りというのは、本来は綺麗で美しい言葉だけがなれべられたものではなく、

この世の考えつく限りの手を尽くした人たちが最後の手段として捧げた

「叫び」のように思います。

 

だからこそ、私は音と音の響きの合間に心から安心して自分の悲しみや、

喜び、怒り、全ての感情を解き放ちます。

 

誰かが自分の悲しみを無理やり喜びに転じさせたり、

怒りを力ずくで赦しに転じさせたりすることは一切ありません。

 

ただ、自分の心にあるものを音の余韻の中に解き放っていく。

 

音の響きはその全部を優しく包み込んでくれて、

ただ、自分の気持ちにぴたりと寄り添ってくれます。

 

そして自分のタイミングで感情を出し尽くした時、

私たちは自ら、新しい扉を見つけ、開いていく。

 

悲しみや苦しみといった向き合うことに力のいる感情は、

人生の新しい扉を開く大切な「鍵」であるということに、

悲しみと向き合った10年間の間に私は気が付きました。

 

人の「悲しみ」や「苦しみ」といった感情は、

誰かと比較してその大小を他人が推し量ることはできないものだと思います。

 

自分から見て「そんな小さなこと」と思うことだって、

当事者からすれば「大きなこと」だったりします。

 

思い込みや、自分の小さな価値観を脇に置き、

全ての人の悲しみや苦しみが、大切に受け止められる場所を、

祈りの音楽の力を借りて、増やしていきたいと思っています。

 

みんなが大なり小なり抱えているそれぞれのグリーフ。

それは、必ず希望の種になります。

 

「祈り」という人の心の最も深いところから出た音楽を通して

寄り添っていくことができればいいなと思っています。

 

年明けからまた心機一転、アルバム制作の進捗状況もお伝えしていければと思っています。

どうぞ楽しみに待っていていただけると幸いです。

素敵なクリスマス、そしてお正月をお迎えくださいね。

 

CDのご注文も、まだまだ受け付けています。

クリスマスに限らず、ぜひ手にとっていただけると幸いです。

 

https://harunamusic.official.ec/items/80557955